甲州古道 富士山道ひとり旅

***第7回目 2009.06.09(火) 本日の散歩は小原宿から野田尻宿までの予定です。***

こちらから地図で経路が見られます→地図 back

小 原 宿

小原と与瀬は片道継立の宿で、甲州へは小原から吉野へ継ぎ、江戸方面には与瀬から小原を通り越して小仏宿へ継ぐ。本陣1脇本陣1、旅籠7
小原の郷 道  標
1.小原の郷 2.道  標
1.小原の郷
 小仏峠を下りきり国道20号線の底沢バス停から
 大よそ400mばかり進んだ右側に小原宿の資料
 館「小原の郷」があります。
 開館時間(9:30)前だったので周りを眺めただ
 けで先に進みました。
2.道  標
「小原の郷」の前方、国道20号線左側に「甲州
街道小原宿 これより2町半」の道標が立ってい
ます。ここから小原宿が始まります。
本陣1 本陣2 本陣3 高札場
-------- 1.本  陣 -------- 2.高札場
1.本  陣
 小原宿本陣屋敷は清水家の子孫が住んでいたそうですが、今は町で買い取り、町で保存しているそう
 です。
 ここも早朝でしたので中には入れませんでした。
2.高札場
本陣入口の右側には立派な高札場がありました。

町並み BBB CCC DDD
1.町並み 2.小松屋(永井)? 3.伊勢屋(小林)? 4.永楽屋(永井)?
町並み
本陣前から西側を見た街の風景です。宿場の雰囲気満点です。
丁度、バス停でバスを待っていた貴婦人にいろいろお話をお聴きすることができました。
この家が小松屋(永井)、あの家が伊勢屋(小林)、向こうの家が永楽屋(永井)・・・・
「毎年、11月3日には「本陣祭」が催されます。そんなのも見ものですよ」などと話して
下さいました。
簡単にメモしておいたのですが、健忘症気味でどの写真がどの家か分からなくなってしましました。
家の特徴も記しておけばよかったのですが後の祭りです。
AAA 名号燈 道標 グランドを抜け右折
1.名号燈と道標 2.名号塔(みょうごうとう) 3.道標 4.グランドを抜け右折
1.名号燈と道標
 写真の右側矢印が名号燈を、左側矢印が道標を指しています。
 次の2枚の写真は夫々を拡大したものです。
2.名号燈)
 「南無阿弥陀仏」と刻まれた名号燈です。
3.道標
 小原宿の西側の始まり「甲州道中 小原宿」の道標が立っています。
 私は西に向っているので、ここで小原宿はここまで、次は与瀬宿ということになります。
4.グランドを抜け右折
前の道標の写真で、道標のバックがグランドになっています。
旧甲州街道はこの道標のところからグランドの方に降りていき、グランドを通り抜けて右折していき
ます。写真は右折したところから撮ったものです。
ガードが見えていますが、上は中央道・相模湖東出口の道路です。

ガードを潜った所 ひらのの看板 登り坂の景色 登り詰めた所
1.ガードを潜った所 2.ひらのの看板 3.登り坂の景色 4.登り詰めた所
1.ガードを潜った所
 中央道・相模湖東出口のガードを潜ると国道20号線と交差しますが、
 旧道は真っ直ぐ進んで行きます。
2.ひらのの看板
 交差点を渡ると、左側に旅館「平野屋」の赤い看板が目に付きます。看板の右側に「甲州道中 平
 野」の道標が在ります。また、左側には「甲州道中はここを上って、中丸三叉路を経てえんどう坂を
 下り、桂北小学校前へでます。」という丁寧な道標がありました。
3.登り坂の景色
 この道は上り坂です。どんどん登って行き、振り返ってみたときの景色です。
4.登り詰めた所
登り詰めると(目印は塚本水道店)、左カーブして進んでいきます。

道標 中丸 えんどう坂1 えんどう坂2 道標 小原宿1 道標 小原宿2
1.道標 中丸 ----- 2.えんどう坂 ----- ----- 3.道標 小原宿・与瀬宿 -----
1.道標 中丸
 少し進むと、Y字路になります。左側の下り坂を進んで行きます。
 この辺りに道標(甲州道中 中丸)があるはずですが見落してしまいました。
2.えんどう坂
 下り坂を進んでいくと、道路右側に段々になった道が見えてきます。
 道標がありました。「甲州道中はこの階段を降り、えんどう坂を下り桂北小学
 校前へ出る」。
3道標 小原宿・与瀬宿
えんどう坂を下って行くと、国道20号線手前約250m位の所と、20号線交差
地点に与瀬宿・小原宿を示す道標がありました。

与 瀬 宿

与瀬宿は、JR相模湖駅(旧名:与瀬駅)の辺り一帯。小原と合宿で、小仏宿に継ぐのを役割とした。 本陣1、旅籠6 
酒まんじゅう光州屋 本陣1 本陣2 本陣前の町並み
1.酒まんじゅう光州屋 ----- 2.与瀬の本陣跡 ----- 3.本陣前の町並み
1.酒まんじゅう光州屋
 相模湖駅より西に約300mのところに酒まんじゅうの甲州屋がありますが閉まっていました。
 やむなく駅まで戻り、駅前の「いかりや」で酒まんじゅうを買いました。
2.与瀬の本陣跡
 甲州屋より200mほど西側、道路右側に本陣跡がありますが跡形は何もありません。
 ただ「与瀬宿 本陣」の表示杭があるだけでした。
3.本陣前の町並み
本陣跡から東方面を撮った写真です。与瀬には宿場だったような面影は見当たりませんでした。

慈眼寺 与瀬神社橋から 本  堂 鐘  楼
1.慈眼寺 2.与瀬神社橋から 3.本  堂 4.鐘  楼
慈眼寺
1.慈眼寺 本陣跡で右折して進むと慈眼寺の門柱が出てきます。
2.門柱の所の階段を上ると赤色をした広場?があってその向こうに慈眼寺とその右に与瀬
 神社の鳥居が見えます。赤い広場?は実は中央道に架かる「与瀬神社橋」という橋だっ
 たのです。
3.本堂 慈眼寺の本堂
4.鐘楼 慈眼寺の鐘楼。この鐘楼は中央自動車道に当って移設したものだそうです。

  
与瀬神社鳥居1 鳥  居2 本  殿 神楽殿
1.鳥  居1 2.鳥  居2 3.本  殿 4.神楽殿
与瀬神社
1.鳥居1 慈眼寺の門柱のすぐ右にこの鳥居があります。
2.鳥居2.鳥居1から登ると与瀬神社橋に出ます。与瀬神社橋の向こう見えた鳥居です。(既出)
3.本殿 本殿はかなり高台にありますが、折角ですから登って行き見てきました。
4.神楽殿 本殿の横にあった神楽殿です。
 
石  壁 道  標 階  段 ガード下
----- 1.石壁と道標 ----- 2.階  段 3.ガード下
1.石壁と道標
 慈眼寺または与瀬神社を見て国道20号線の方に戻ってきますが、旧道は国道に出る手前で右折しま
 す。(与瀬本陣で右折して、少し進んだところで左折する)
 そこをずっと進むとやがて中央自動車道の側壁に当たりますが、そこを左折します。(右側に道標が
 ありました「甲州古道 高速下を進むと貝沢へ出る」「甲州古道 与瀬上宿」)
2.階  段
 左折すると国道20号線が真下に見え、下に降りる階段がありました。
3.ガード下
そのまま階段を降りて行くと中央自動車道のガード下を進めるように歩道が作られていました。

ラーメン屋 道標 道標
----- 1.ラーメン屋と道標 ----- 2.道  標
1.ラーメン屋と道標
 ガードを潜ると真正面にラーメン屋が目に入りました。ラーメン屋さん
 の旗の傍に「甲州古道 貝沢」の道標がありました。
2.道  標
ラーメン屋さんの少し先に「日本橋より65.7Km」の表示がありました。

無関係な橋 丁寧な道標 丁寧な道標 貝沢に架かる橋 登り道 登り道
1.無関係な橋 ----- 2.丁寧な道標 ----- 3.貝沢に架かる橋 ----- 4.登り道 -----
1.無関係な橋
 旧甲州街道はラーメン屋の手前で国道20号線から離れ、沢に降りるようなところが
 あるかどうか注意しながら進みます。下る階段があり橋が出てきました。通行止めに
 なっていました。違うだろうということでさらに進みました。
2.丁寧な道標
 しばらく進むと道路の右側に丁寧な道標がありました。本当にホッとしました。「貝沢
 を渡り一里塚へ」「甲州古道はここより下り 貝沢を渡り一里塚へ出る」
3.貝沢に架かる橋
 沢には水が余り流れていませんが、小さな橋が架けられていました。
4.登り道
橋を渡るとすぐ登りだしますが、直登せず右の方に巻いて上り、 暫く行ったところで
左折し、斜め上に上っていきます。

与瀬宿一里塚 進行方向の景色 相模湖 甲州道中 横道
1.与瀬宿一里塚 2.進行方向の景色 3.相模湖を望む 4.甲州道中 横道
1.
与瀬一里塚(16番目)

  貝沢橋を渡り沢を登り切ると、すぐに与瀬一里塚の標柱が出てきます。標柱があるだけで何もありま
 せんでした。見通しが悪く景色もいまいちでした。
2.進行方向の景色
 進行方向を見ると上り坂がまだ続きそうです。
3.相模湖を望む
 しばらく行くと辺りが見渡せるようになりました。車も通るわけでなく相模湖も見えて晴れ晴れとした
 気分で歩けました。
4.甲州道中 横道
一人で歩いていると時々、間違った道を歩いているのでは?という不安が出てきます。
そんな時に道標が出てくると非常に安心します。

道標 石仏 甲州道中 橋沢 甲州古道 子の入
----- 1.甲州古道 秋葉神社 ----- 2.甲州道中 橋沢 3.甲州古道 子の入
1.甲州古道 秋葉神社
2.甲州道中 橋沢
3.甲州古道 子の入
行く先々に道標がありました。心強い限りでした。
道標「甲州古道 子の入」が出てきたところで左折して中央自動車道の方に下って
いきます。

古道に分岐 BBB T字路は左折 眼下にJR中央線 甲州古道 椚戸
1.古道に分岐 2.T字路は左折 3.眼下にJR中央線 4.甲州古道 椚戸
1.古道に分岐
 中央自動車道を越え暫く行くと右側に「甲州古道 赤坂」の道標(赤い矢印)が出
 てきます。その先で右の方に入って行きます。(白い矢印)
2.T字路は左折
 暫く下って行くとT字路になるので左側に進みます。(左向き矢印の小さな道標が
 ありました)
3.眼下にJR中央線
 左側に進むとすぐ右下の方にJR中央線の線路がみえてきます。
4.甲州古道 椚戸
しばらく進むと舗装道路に出て「甲州古道 椚戸」の道標が目に入ります。
舗装道路を100mほど戻れば観福寺になる筈ですが戻らず先に進みました。
 
石仏群 蚕影山
1.石仏群 2.蚕影山
1.石仏群
 しばらく進むと道路右法面に供養塔、
 二十三夜、蚕影山等の石造物群が出
 てきます。
2.蚕影山
「蚕影山(こかげやま」の石碑は、蚕
の神で茨城県の蚕影大権現を祀った
ものだそうです。養蚕は江戸中期以降
に盛んになり、明治には輸出産業とし
て栄え、昭和の50年代に廃れていっ
た歴史があります。

吉 野 宿
国道20号線沿いの宿になっていて、交通量がかなりある。明治29年に12月に大火があり本陣も含めほとんど焼失してしまった。いくらか古い家も残るが大火後の建物になる。長谷川伸の「関の弥太っぺ」の舞台になった。与瀬より 34町28間(約3.7km) 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠3
AAA
吉  野  宿       (郷土資料館の模型を撮ったものです)
あじさい 人家と坂道 高札場跡 六地蔵D
1.あじさい 2.人家と坂道 3.高札場跡 4.六地蔵
1.あじさい
 道路に綺麗なアジサイが咲いています。いよいよ人里近くになりました。
2.人家と坂道
 やがて、急な下り坂道になります。綺麗に道路の石垣が積まれていました。
3.高札場跡
 あと100mも下れば国道20号線です。道路右側のちょっとした高台に「高札場」の表示杭がありまし
 た。吉野宿の高札場ということでしょう。
4.六地蔵
そのすぐ右側にお地蔵さんが行儀よく並んでいました。

勝瀬橋1 勝瀬橋2 勝瀬橋3
1.勝瀬橋1 2.勝瀬橋2 3.勝瀬橋3
勝瀬橋
国道20号線に出て右折して西に進むところを、 国道20号線を逆方向
に200mほど戻り相模川に架かる勝瀬橋を撮ってきました。

吉野本陣跡碑 本陣:現在の家 本陣:蔵屋 全体
1.吉野本陣跡碑 2.本陣:現在の家 3.本陣:土 蔵 4.全体
吉野本陣跡
高札場から国道20号線に出て右折すると200mも進まないうちに吉野本陣跡が道路右側にでてきま
す。吉野家がつとめ名主と問屋も兼ねていたそうです。吉野本陣跡碑、本陣の現在の家や蔵屋が見ら
れます。
4.全体の写真は道反対側の郷土資料館の2階から撮ったものです。

郷土資料館 資料館の内部 本陣の模型 本陣とふじにやの模型
1.郷土資料館 2.資料館の内部 3.本陣の模型 4.本陣とふじにやの模型
1.郷土資料館
 吉野宿本陣の道反対側が郷土資料館になっています。
 明治29年12月に大火で焼失し、明治30年に再建された旅籠の「藤屋」を資料館として使って
 いるのだそうです。
2.資料館の内部
 この写真は1階の一部を撮ったものです。2階に行くと往時のいろいろな小道具類が展示されていま
 した。更に3階造りになっており見学はできませが、養蚕に使われていたとの説明がありました。
 ここに来る前に見た「蚕影山」の石碑が思い出され養蚕が盛んであったことが偲ばれます。
3.本陣の模型
 木造5階建の素晴らしい造りでした。「木造で5階建て」という、信じられないような建築がこの地
 でもなされていたことを知りました。その隣には先ほど見てきた本陣の土蔵の模型がありました。
4.本陣とふじやの模型
本陣と道を挟んで藤屋がある模型もありました。

町並み1 町並み2
1.町並み1 2.町並み2
1.町並み1
 資料館の前で、これから進んでいく西側を見た景
 色。
2.町並み2
資料館の前で、今まで歩いてきた東側を見た景
色。左側に本陣跡碑と土蔵が見える。

石造物 吉野橋 沢井川
1.石造物 2.吉野橋 3.沢井川
1.石造物
 郷土資料館から大よそ400m西に進むと吉野橋。吉野橋の袂左手前にある二
 十三夜の石仏碑
2.吉野橋
 沢井川にかかる吉野橋。往時は大月の猿橋と同じ技法で作られた橋が架け
 られていて「小猿橋」と呼ばれていたそうです。(実際に架けられていた
 場所はもっと下流の方らしい)
3.沢井川
橋の右側の歩道から川の上流に向かって撮った写真です。向こうには中央
道が見えています。左側には歩道がなく下流方面は撮れませんでした。

分岐 原田電機 古道の道標 現代アート
----- 1.原田電機 ----- 2.古道の道標 3.現代アート
1.原田電機
 暫く進むと右側に原田電機が見えてきます。原田電機の前で国道20号線と別れ、右斜め
 の旧甲州街道に入って行きます。
2.古道の道標
 道なりに進んでいくと道路右側の石垣の側壁に、甲州古道を教えてくれる手書きの素晴ら
 しい道標が掛けられていました。
3.現代アート
 あと50メートル程で国道20号線と合流しますが、手書きの道標に沿って右折して進む
 と藤野中学校の前に出ました。学校の塀の所に自転車などの廃品を使って創られたメカニ
 カルな「新世界人間像」を見ることができました。
 このまま直進するとやがて国道20号線と合流しますが、津久井の銘木「榎」を見たいの
 で左折して一足早く国道20号線・津久井警察署小渕駐在所 の前に出ました。

榎 表示板 石造物 藤野町役場前
----- 1.榎 ----- 2.石造物 3.藤野町役場前
1.津久井の銘木 榎
 国道20号線・小渕駐在所 の西側約50m道路左側に大きな榎がありました。
 説明板によると、樹高12M、樹齢 推定300年、昔は一里塚に植えられた、所在地 藤野町小渕1914-2
 とありましたが、ここに一里塚が在ったという説明はありませんでした。
藤野一里塚(17番目)

 一里塚存在場所未確認。
 藤野町小渕1914-2(「藤野中学校入口」バス停の西)辺り、前記の榎の場所辺りに一里塚があったら
 しいのですが、地元の人に確認することなく通り過ごしてしまいました。
2.石造物
 津久井の銘木「榎」から100mほど西側の道路右側、藤野集会所の所にある石造物です。
 多分、宝号塔らしいのですが字が全然分かりませんでした。   
3.藤野町役場前交差点
八王子市追分町交差点から陣場街道がスタートし途中分岐してその一つがこの藤野町役場前交差点で再
度国道20号線と合流している。分岐した他の一つは上野原市まで延びて国道20号線と合流してい
る。
関 野 宿
関野宿は甲斐の国に通じる最後の宿で重要視されていて本陣、脇本陣を備えた宿場だった。 明治21年とその後の2度の火災で焼失してしまった。本陣1、脇本陣1、旅籠3
道標 70Km 中央道直下の歩道 加藤製材所 本陣跡表示板
1.道標 70Km 2.中央道直下の歩道 3.加藤製材所の向隣が関野本陣跡
1.道標 70Km
 藤野駅前交差点の少し先で左折して旧甲州街道に入りたかったが、左折するところを見過
 ごし国道20号をそのまま歩いてしまいました。途中、道路右側に「日本橋より70Km」の
 道標が出てきました。
2.中央道直下の歩道
 更にどんどん進んでいくと国道20号線と中央道と並行となり、中央道の下に歩道が設け
 られていました。これなら安心、どんどんと歩けます。 
3.関野本陣跡
中央道下の歩道を抜け、暫く進むと右側に「加藤製材所」の表柱が見えいてきます。この
先に関野本陣がありました。右端の写真は「関野本陣跡」の説明板です。加藤製材所を
通り越し暫く行ったところで振り返って撮った写真です。ここにあることを知らないと見
過ごすことになります。
 
町並み1 町並み2
1.町並み(東京方面) 2.町並み(大月方面)
町並み関野宿は2回の火災にあったそうです。
   宿場の面影は見られませんでした。

増上寺入口 石造物群 本  堂 お地蔵さん
1.増珠寺入口 2.石造物群 3.増珠寺本堂 4.お地蔵さん
1.増珠寺入口
 国道20号線右側に増上寺の門柱が見られます。大相撲の年寄名跡「追手風」のゆかりの
 あるお寺だそうです。
2.石造物群
 山門脇の石造物。右手から境内に入って行くとそこかしこにも石造物が見られました。
3.増珠寺本堂
4.お地蔵さん
このお寺にも賑々しく沢山のお地蔵さんが祀られていました。

.関野町小渕 左に細い道 横断歩道 境沢橋
1.小渕横断歩道橋を過ぎた所 2.左に細い道 3.横断歩道 4.境沢橋
1.関野町小渕の横断歩道橋を過ぎた所
 右斜め上の坂道が旧甲州街道でそちらに行きます。
2.左に細い道
 坂道を登り切ります。左に下がって行く細道があるのでそこを進むとすぐに国道20号線に出ます。
3.横断歩道
 国道20号線に出たところで横断歩道を渡り、旧甲州街道は再度国道20号線から離れ左側の坂道を
 下ります。こんど国道20号線と合流するのは上野原市内になります。
4.境沢橋
坂道を下り切ると神奈川県と山梨県の県境、境沢橋になります。

是より甲斐の国 境川橋 上流の景色 下流の景色
1.是より甲斐の国 2.境川橋 3.上流の景色 4.下流の景色
1.是より甲斐の国
境沢橋を渡るといよいよ甲斐の国。
少し行くと神奈川県道・山梨県道520号線(相模原市と山梨県上野原市上野原駅を結ぶ一般県道。相模川の右岸を通過する)のT字路となります。
右折して坂道を上って行き上野原方面を目指します。
2.境川橋
県道520号線のT字路を左折すると桂川に架かる境川橋を渡り、桂川の右岸を通って藤野町吉野の方に行けます。
3.上流の景色
境川橋の上から眺めた桂川の上流の景色です。
4.下流の景色
境川橋の上から眺めた桂川の下流の景色です。
コースに逆光ですが橋があると橋の上から眺めてみたい。ちょっと足を延ばして写真を撮りました。
上 野 原 宿
説明板:
甲斐の国最初の宿。八王子から分かれた裏街道・陣馬街道との分岐点で、文化年間(1804〜18)には250軒もの商家が軒をを並べ、織物、野菜、干魚、酒などを商っていたといわれています。
本陣1脇本陣2 旅籠20   関野より34町 3.7km

つづら折れ 諏訪番所跡1 諏訪番所跡2 諏訪番所跡3
1.つづら折れ ---------- 2.諏訪番所跡 ----------
1.つづら折れ
境沢橋から段丘の上まで暫くダラダラとした九十九折れの坂道が続きます。
2.
諏訪番所跡
説明板:
上り坂の途中、道路右上の小高い所に諏訪関所跡の説明板と諏訪関所跡碑があります。
右2つの写真は左側の写真を部分的に拡大して撮った写真です。(諏訪番所跡標柱/諏訪関跡石碑)
説明板によるとこの関所は、通行取り締まり、物資出入り調べ、高瀬舟取り締まりと徴税(2割2分)、鶴川「渡し場」取締まり、通行手形改め等の任に当たっていたようです。

坂道を登る 諏訪神社 石造仏群 5本杉
1.坂道をまだ登る 2.諏訪神社 3.石造仏群 4.5本杉
1.坂道を登る
 諏訪番所跡からもう少し上ると河岸段丘の上になり平坦な地形になります。
2.諏訪神社
 坂を登り切り略600mほど進むと右側に諏訪神社が出てきます。
 ここの集落は上野原宿の馬宿が在った所だそうです。
3.石造仏群
 諏訪神社の境内にはな二十三夜などの石像物群が在りました。
4.5本杉
参道には巨大な杉が5本並んでいました。諏訪神社の5本杉と呼ばれているらしいです。
諏訪神社を出ると次の目的地は「疱瘡神社」です。

花屋さん お花畑 堂々たる道標 前衛芸術
1.花屋さん 2.お花畑 3.堂々たる道標 4.前衛芸術?
1.花屋さん
 さすがに花屋さん。所狭しと綺麗な花がたくさん飾られていました。
2.お花畑
 畑と思われるような広い所に、色とりどりの花が咲いているお花畑?が在りました。しばし眺めて歩みを進めます。
3.堂々たる道標
 誰もが気がつくようなところに「旧甲州街道」と彫られた大きな石の道標が建てられていました。多分個人の築山だ
 と思われます。世の中には親切な人がいるも のだと感心させられました。
4.前衛芸術?
これまた感心!!。廃品で飾られた前衛芸術??。「交通安全」とか「太陽」、「明るく生きる」とか「少子化は
国力の低下につながる」の活字も見えました。
この人の訴えたいこと分かるような気がしました。

疱瘡神社 常夜燈 塚場の一里塚
1.疱瘡神社 2.常夜燈 3.塚場の一里塚
1.疱瘡神社
 朱色に綺麗に塗られていました。鳥居の左手前に塚場の一里塚の説明板があり
 ます。
2.常夜燈
 ご多分に漏れず立派な常夜燈がありました。
3.
塚場一里塚(18番目)
一里塚:疱瘡神社の右奥に有ります。
説明板:疱瘡神社の前に有ります。
 説明板によると、この一里塚は、五街道の一つである甲州街道に築かれた
 塚の一つです。  日本橋から十八里(70.62キロメートル)・十七番目の
 ものです。
 (アンダーラインを引いたのは18里だと18番目・なぜ17番目か気にな
 ったからです。要確認)

             〜 略 〜 
 一里塚は、明治三十四年、中央線が開通してからの距離を知って、もう一
 里、もう一里と塚を楽しみに旅をしたり、人夫や馬を借りるときの駄賃を
 きめる基準にしました。
 また、暑いときはひと休みする木陰に利用したり、にわか雨には雨宿りの
 場ともなりました。
昭和六十三年三月 上野原町教育委員会

新町2丁目交差点 牛倉神社鳥居 拝殿 石造物
1.新町2丁目交差点 2.牛倉神社鳥居 3.拝  殿 4.石造物
1.新町2丁目交差点
新町2丁目交差点の手前約200mの所に「新町交差点」が在ります。 「新町交差点」を撮りたかったのですが間違えて新町2丁目交差点を撮ってしまいました。
この「新町交差点」で国道20号線と合流します。
2.牛倉神社鳥居
新町2丁目交差点の約50m先の左側に牛倉神社の参道があり鳥居が建っています。
3.拝  殿
牛倉神社は、天正23年(1594年)武田信玄の娘が北条氏政に嫁ぐ際、武田側1万数千・北条側五千の兵を送り込んだという歴史のある神社だそうです。
このお宮の例大祭は9月4日〜6日で郡内3大祭りの一つ「暴れ神輿」で有名だそうです。「新町交差点」を撮りたかったのですが間違えて新町2丁目交差点を撮ってしまいました。 (郡内3大祭り、他の2つは?)
4.石造物
境内の石造物群です。

明誠高校入口 細田家 植  栽 お  蔵
1.明誠高校入口 2.細田家 3.植  栽 4.お  蔵
1.明誠高校入口
新町2丁目交差点の次の交差点が明誠高校入口交差点です。
この交差点を右折して右側3軒目に脇本陣だった「細田家」がありました。
この辺にあるということは分かっていたので「細田」という表札を頼りに訪問したところ図星でした。
2.脇本陣 細田家
細田家ではご主人がでてきて対応してくださいました。 母屋は新築されていて陣屋の面影は全然ありません。けれど植栽の奥に土蔵があり往時の片鱗が窺がえました。
上野原宿にはもう一軒、若松屋という脇本陣があったそうです。
しかい今は無く、その跡にホテルルートインが建っている等とお話を伺いました。
細田様有難うございました。
脇本陣 本町1丁目バス停 本陣跡 大欅
1.脇本陣(若松屋)跡 ----- 2.本 陣 跡 ----- 3.大   欅
1.脇本陣(若松屋)跡
明誠高校入口から50mほど進んだ先の右側にホテル・ルートインがあります。
ここに脇本陣の若松屋が在ったそうです。
敷地内の何処かに標柱があるらしいのですが、ルートインの社員に聞いても分かりませんでした。
2.本陣跡
ルートインから80mばかり先に本町1丁目バス停があります。
右側に入る路地があります。そこを入って行くと本陣跡があります。
門だけしか見ることはできません。敷地の中には住宅が建っていました。
3.大   欅
本陣屋跡から200mほど進むと本町交差点になります。
ここを右折して上野原小学校グラウンド南東端樹高にあるケヤキが見れるところまで近づき撮った写真です。
樹高 28m、目通り幹囲 8.6m、推定樹齢 800年以上で国の天然記念物になっています。
20号線は左方向 真中の細道 右側を選択 鶴川入口歩道橋
1.20号線は左方向 2.真中の細道 3.右側を選択 4.鶴川入口歩道橋
1.20号線は左方向
左方向に進むと歩道橋があります。
歩道橋左側にもう一本左側に入っていく道があります。
20号線から左折してこの道を進みます。
2.真中の細道
大よそ800mほど進むと写真のような変則的な3分岐の道になります。
真ん中の小道を下って行きます。
3.右側を選択
下って行くと分岐になるので右側に進みます。
4.鶴川入口歩道橋
やがて国道20号線に架かる歩道橋の橋の上に出るので20号線を渡って左側で降ります。
歩道を進む 横断歩道を横断 鶴川橋 鶴川上流
1.歩道を進む 2.横断歩道を横断 3.鶴川橋 4.鶴川上流
1.歩道を進む
県道 30号線(この道は鳥澤まで続く)の歩道を進みます。
歩道は甲州古道でこの下の鶴川橋までの近道です。
2.横断歩道を横断
歩道を進むと30号線の横断歩道に出るので横断、横断した先に更に歩道が続くので道なりに降りて行きます。
3.鶴川橋
降り切ると30号線になり、右側に鶴川橋が見えてきます。ここが甲州街道唯一の「徒歩(かち)渡し」の鶴川の渡しです。
4.鶴川上流
鶴川橋で撮った上流の景色です。
鶴川宿

鶴川宿は、正徳三年(1713)一村一宿にてつくられた。甲州街道唯一の「徒歩(かち)渡し」の鶴川の渡しがあり、川留めのために設けられた宿場。明治、大正の二度の大火で、殆どの建物が焼失したという。 本陣1脇本陣2旅籠8  上野原から18町 約2km

道   標A 道   標B お地蔵さん 石造仏
----- 1.道   標 ----- ----- 2.石造仏群 -----
1.道   標
鶴川橋を渡って右側すぐのところに道標や鶴川宿の石碑がありました。
2.石造仏群
暫し坂道を登っていくと左側の小高い所に石造物群が見られました。
町並み(東1) 町並み(東2) 鶴川神社
1.町並み(東側) 2.鶴川神社
1.町並み(東側)
鶴川宿東側の町並みの風景です。明治大正と二度の大火があったそうですが今なお風情があります。
ここから先やく300mの宿場が続きます。
2.鶴川神社
暫く進むと左側の小高い所に鶴川神社がありました。
加藤家 町並み(西1) 町並み(西1)
1.立派に家 ----- 2.町並み(西側) -----
1.立派な家
確か表札が「加藤」だったかと思います。広々とした敷地の奥にドッシリした家が見られました。
2.町並み(西側)
鶴川宿の西側端から今来た東側を向いて撮った町並みの写真です。
※鶴川宿を出ると道は上り坂道になります。ここで県道30号線から別れ左方向の道に入って行きます。
ここから約1Km進んで中央高速道路の側道に出ます。
あやめ1 あやめ2 あやめ3
畑一面満開のあやめ
途中、あまりにも綺麗にアヤメが咲き誇っていたので写真に収めました。
中央道 鳶ヶ埼橋 大椚一里塚跡 工業団地
----- 1.中央道&鳶が埼橋 ----- 2.大椚(くぬぎ)一里塚跡 3.上野原リサーチ&テクノパーク
1.中央道&鳶が埼橋
中央高速道路の側道に出て暫く進むと、前方に「鳶が埼橋」跨道橋が見えてきます。
「鳶が埼橋」跨道橋を渡り、中央道から離れて大椚に向かいます。
2.
大椚一里塚(19番目)
大椚の一里塚跡の説明板(上野原市教育委員会)によると、
所在地は上野原市大椚字大浜167番地付近。 上野原地域には甲州街道に沿って4ヶ所の一里塚が作られ、大椚の一里塚は、江戸から19番19里にあたります。現在、その跡は残されていませんが、鶴川宿から大椚集落に入る手前の道の両側にあったことが江戸時代の絵図などから分かります。
と記されていました。
3.上野原リサーチ&テクノパーク
何だかわからないので調べてみました.
上野原市と帝京科学大学が、動物を介した地域連携活動を推進するために協働して進めてきました「上野原リサーチ&テクノパークS公園(通称:動物ふれあい公園)」。この動物ふれあい公園は、帝京科学大学が進める動物介在教育およびアニマルセラピーの実習・研究の場として、また、子どもや障害者が動物とふれあえる場として利用がされます。今後は、ヤギなども飼育し、市民開放の動物ふれあいイベントなども計画されます。
ということでした。
二十三夜塔 椚  屋 椚宿発祥
1.二十三夜塔 2.椚  屋 3.椚宿発祥
1.二十三夜塔
 大椚の集落がはじまるところに寛政12年の大きな二十三夜塔
 が建っていました。
2.椚  屋
 集落を進むと門柱に 「椚屋」と刻まれた立派な家がありまし
 た。姓かな?屋号かな?どっちだろう?
3.椚宿発祥
 暫く進むと道祖神と常夜灯の前に「(左)上野山 鶴川宿 鶴
 川宿 野田尻祝 犬目宿(右)」の道標が立っています。
 道標の立杭に「椚宿発祥の地」と書かれていました。
 甲州街道には「椚宿」は無いのですが、どうゆう宿場だったの
でしょうか?

大椚吾妻神社 石造物 何の木? 供養塔 また中央道
1.吾妻神社- 2.石造物 3.何の大樹? 4.供養塔 5.また中央道
1.吾妻神社
この神社に大きな椚の木があって地名の由来になっているそうで
すが現在は椚の木はありません。  境内には大椚観音道があり二体の仏像が安置されているそうです。
2.石造物
 境内のなかにある石仏群
3.何の大樹?
 大きな樹があり標示板もありましたが樹木名の確認をし忘れまし
 た。
4.供養塔
 吾妻神社横の道路脇にあった供養塔です。
5.また中央道
吾妻神社を通り過ごし暫く進むと中央道の側道になりました。

芭蕉句碑 長峰砦跡 CCC DDD
1.芭蕉句碑 2.長峰砦跡 3.「新栗原橋」跨道橋 4.跨道橋からの中央道
 中央高速道を右に見ながら坂を下っていくと左手に小さな公園が出てきます。
 公園には芭蕉句碑と長峰砦跡碑があります。
1.芭蕉句碑
  中央高速自動車道の建設中に発見された「芭蕉句碑」が発見されました。
  碑には芭蕉と、芭蕉門十哲の一人獅子庵支考の句が刻まれています。
 「古池や 蛙飛びこむ 水の音」        芭蕉
 「あがりては さがりてあけては 夕雲雀」   連二房(支考)
2.長峰砦跡碑
 ここは甲斐国を北条の侵略から守る為の峰のような高台に出城が築かれた場所であった。
 中央高速の建設により砦跡が全て破壊されてしまったそうです。
 そこで、ここに砦があったことを後世に伝えようと作られたのが「長峰砦跡碑」だそうです。
3.「新栗原橋」跨道橋
 砦跡を過ぎると中央道を横断して野田尻に向かう「新栗原橋」跨道橋になります。
4.跨道橋からの中央道
跨道橋の上から見た中央道です。走っている車が少ないようでした。

野田尻宿
説明板:
駅路峯の上に亘れり・・・というように中央高速の北側高台に存在する。宿は明治19年の大火でほとんど焼失し昔の面影は残っていない。
本陣1 脇本陣1 旅籠9  鶴川より一里三町三十間(4.3km)
輝かしい宿場へ 明治天皇御小休所跡 道標1 道標2
1.輝かしい宿場へ 2.明治天皇御小休所跡 ----- 3.道  標 -----
1.輝かしい宿場へ
 中央道脇の小高い丘?をV字型に切りこんだ道を下って行くと、急に
 正面が明るくなり神々しい状況が待ち受けていました。
2.明治天皇御小休所跡
 集落の西側に明治天皇の小休所跡碑が建っていました。
 ここが野田尻宿の本陣跡らしいです。
3.道  標
本陣跡の前に野田尻宿の道標と説明板がありました。

町並み1 町並み2 犬嶋神社 お玉の井
----- 1.町並み ----- 2.犬嶋神社 3.お玉の井碑
1.町並み
 これは、集落の東側と西側から夫々町の中央を眺めた写真です。
 明治19年の大火で殆ど消失していて昔の面影がないそうです。
2.犬嶋神社
 明治天皇御小休所跡のすぐ西側の神社です。
 赤い鳥居が綺麗でした。 
3.お玉ヶ井碑
 旅籠「恵比寿屋」で働く美しい女中「お玉」の恋物語。
 念願かなったお玉はその礼に水不足に悩む野田尻に澄んだ水をコンコンと湧き出させた
 という。このお玉の正体は竜の化身で長峰の池の竜神と結ばれた。
という伝説があるそうです。
***第7回目 2009.06.19(火)、晴***
本日の散歩は小原宿から野田尻宿までの約20Kmで終了です。
小原宿から野田尻宿=約20Km、歩数計=53098歩 歩行時間 〜  内休憩30分=実質歩行時間  時間 分